世の移り変わりにしがみつくような
驚異的なスピードで
半歩先を行く革命をし続け
その答えを探ってきたSQUAIR。
これまで重ねてきた濃密な歴史を
今、ここで紐解いていく。
まだ、1万円を超えるiPhoneケースが受け入れられていない時代。我々が未来に見据えたのは、「新たな存在価値」でした。
日本の技術者たちと手を取り合って挑み始めたのは、この世にまだなかった価値を、ひとつの形にすること。まだ、誰も知らない、気づくことのなかった価値。
それは、〝まだこの世に存在するはずのない〟ものづくりでした。
実現へと導いたのは、日本の技術者たちの、飽くなき探究心。製造業の常識を超えて、伝統工芸の域へと引き上げたのです。
最新機器を駆使しながら、職人らの技と知恵を絞り出して生み出されるもの。我々はこれを、前例のない工芸品ととらえ、「最新伝統工芸」と呼んでいます。
最新の5軸加工機で丹念に削り出す金属製品でありながらも、データ上で完結するフラットな世界観にとどまらない、どこか有機的な息遣い。マニュアル化のできない特殊な製造工程と、代役がきかない職人技。
伝統工芸品のような特別な存在感を放ちながら、世の中に、新たな価値を問いかけていきます。
世の中への疑問
iPhoneという新たなプロダクトと
それを取り巻く世の中への疑問。

彗星の如く現れた、革命とも呼べるプロダクト。iPhoneという存在の誕生が、全ての始まりだった。
それまで、デジタルとライフスタイルは、別々の世界に存在するものだった。 しかし、iPhoneが誕生したと同時に、驚くほどのスピードで融合していく。 まるで、産業革命が世の中を根底から覆した、あの時代のように。 今押し寄せている波は、この先に起こり得る革命の序章に過ぎないのかもしれない。
2009年。
iPhoneという素晴らしいプロダクトに、心底惚れ込んだ日本人が居た。 手にした時に感じた、大きな衝撃と感動。どこまでも広がり続けていく可能性。 最先端のテクノロジーを詰めこんだアプリケーションの数々が、 平凡だったライフスタイルを、豊かにしてくれたのだ。
iPhoneとの関わりの中で、自らの価値観が変化していくのを、皆が純粋に楽しんでいた時代だった。

ただひとつ。皆が同じものを持ち、それに疑問を抱かない世の中に、愚かさを感じていた。
これほどまでに個性と自己表現が重視されている時代に、 皆が同じものを持ち、当たり前のように身に付けていて良いのだろうか。 そして、この愚かな行為に、なぜ誰も気づいていないのだろうか。
iPhoneの素晴らしさを感じれば感じるほど、存在自体を否定したくなる。とは言え、それを手放すことも、iPhone以外を身につけることも考えられない。
そんな時、ずっと抱いていた疑問が、ある発想に変わった。その発想を元に、ひとつの構想がふくらみ始めたのは、世の中がiPhone 4 の登場に湧いていた、2010年のことだった。
この時はまだ誰も知ることのなかった価値観が、スタンダードになる時代は、すぐにやってくる。のちに、誰かが語り出すに違いない。「SQUAIRこそが、先見の明の持ち主だった」と。
iPhoneを再定義する
iPhoneを再定義するプロダクトで
その存在を越えていく。

その発想は、「否定したその存在を超えること」だった。iPhoneへの敬意と疑問を、ひとつのプロダクトで越えていくこと。
− iPhoneを変えてしまうほどの、金属バンパーを作りたい。−
そうして、初代モデル Curvacious Bumper の構想が始まった。頭の中にあるイメージは明確だった。iPhoneという物体を再定義するような、丸みを帯びたシルエットと、本体と一体化するような美しい色、心地良い手触り。電波干渉のリスクももちろん知りながら、金属で作ろうと決めていた。
でも、裏を返すと、あるのは明確なイメージだけ。それを形にする技術は、どれだけ探し回っても見つからなかった。 手を貸してくれる人もいない。動き出すための資金もない。頭の中のイメージだけが膨らむばかりで、構想から2年の月日が経っていた。
「もしかしたらこれは、実現不可能なプロダクトなのかもしれない」そう思えてくるほどに、日本中、いや世界中をいくら探しても、解決策が一向に見当たらない。
そんなある日、とある技術者との出会いを果たす。
ずっと断わられてきた、試作。なんと、それを引き受けてくれるというのだ。
そもそも、未達の原因は、常識外れの形状にあった。Curvacious Bumper のファーストモデルは、最薄部が0.4mmで設計されていた。加工の途中に、ちょっとの誤差でちぎれ飛んでしまう上、実用にも耐え難い。
解決の糸口は、この技術者が出した「超々ジュラルミンA7075」という答え。
プラスチック並みの軽さと、金属の中でも最高レベルの硬さを合わせ持ったアルミニウム合金に、ジュラルミンという素材がある。その中でもさらに硬い「超ジュラルミン」を、さらに超えた「超々ジュラルミン」。
驚異的な硬さと軽さを誇る「超々ジュラルミン」は、航空機部品などにも使用されている、高価な素材だった。
技術者との出会い
技術者の知恵と経験が
不可能を可能にした瞬間。

「超々ジュラルミンA7075」の塊から、金属の切削機を使って少しずつ削り出す。贅沢極まりない設計で、驚くような手間と時間をかけて、ずっと思い描いていたものが、形になっていく。試作を眺めながら、2年もの構想が実現する喜びを感じていたという。
と同時に、ずっと技術を探し求めていたと思い込んでいたが、見つけなければならなかったのは「人」だったということにも気づかされた。高価で良質な材料と最新鋭の機械があっても、それを選び、操れる人の知恵と技術がないと、ものづくりなんてできない。日本の技術の素晴らしさを再確認した、そんな出会いだった。
構想から着手までは、2年もの時間を費やしたが、実際に製作ががスタートしてからは、わずか2ヶ月で試作に成功した。のちに Curvacious Bumper として世界デビューを果たすバンパーの、ファーストモデルが完成。
“SQUAIR” が誕生した瞬間だった。
ただ、今考えると、それは技術的には何も解決していない、荒削りの金属にすぎなかった。
手を貸してくれた人たちは、口を揃えてこう言う。「要望通り、なんとか形にしました。立体として実現はしましたが、とても量産できるような代物ではないです」と。
しかし、そんな忠告も聞かず、それを持って、アメリカ・ラスベガスへ飛んだ。選んだ舞台は、世界。世界最大のエレクトリックショー「CES 2013」へ、初の出店を果たしたのだ。
技術者らの心配をよそに、堂々と大舞台に立った。信じたのは、Made in Japanのクオリティーと、これを作り上げた感性だけ。それでも、これは世界に通用するプロダクトになると、確信があったと言う。
なんとか形にした手作りのブースと、たったひとつの試作品で、SQUAIRは、早すぎた世界デビューを果たしたのだ。